2013年3月12日火曜日

Take it easy.

少し前、SHERLOCK絡みのブログやらtumblrやらではとある話題でもちきりであった(主に負の意味で、だが)
先だってM・フリーマンをゲストに迎えたトーク番組で、あろうことかこんなことが起こったのである。


※18禁です。
※背後大注意です。職場でご覧になられたらどえらいことになります。

事情が良く分からぬ方(そして、上の動画を見られぬ方/見る勇気がない方)のために背景から説明すると、とつくににも我が国同様所謂「腐女子」なる方々は沢山おられ、その方々はこれまた我が国同様得てして絵が大変お上手だったりするのである。
そんな彼女ら(まあ彼らもいるんでしょうが)が男子2人の友情と冒険を描いた「SHERLOCK」にいたくインスパイアされ、結果「ファンアート」なる妄想絵をお描きになり、それらがお絵描きサイトやらtumblrで夥しく公開されているのである。
妄想絵はソフトなものもあれば、…えー、あの、少しく、いや大っぴらにハードコアなものもある。

とまあここ迄は本邦と事情はほぼ同じなのだが、向こうの方は何が凄いってこういう妄想垂れ流しお絵描きを「中の人」、つまり俳優諸氏に見せるということに全く以て抵抗がない、いや寧ろ積極的に見せることを好むらしいのである。
(属性はあるかもしれぬが、一応)腐女子ならぬ私にはそもそも考えられぬことであるし、また本邦のやまとなでしこ腐女子にとってもそんな滅相もないことは想像だにできぬことである、らしい。

で、話は件のトーク番組に戻る。
内容は、ゲイ(なんだよね?字幕がおねえ言葉だったから)の司会者がマーティン他のゲストにその、えっと、その、何だ的ファンアートを見せ、
・観客どよめく
・若いゲストやや引く
・年輩ゲストどん引く
・マーティン苦笑い
 でも「いい絵だよ」とフォローする
という図である。

この番組に関する同胞の皆様の反応はざっと見たところ大体、
・信じらんないなにすんのこの番組
・でも「いい絵じゃん」って笑ったマーティンまじ男前
という感じである。

ふーむ、と私は唸った。
これ見た第一印象がへえ、下品に見せかけて上手い番宣やん、だった自分の心の黒さを改めて再認識させられたからである。
この数日後にSherlockシーズン3の台本の読み合わせ完了、というニュースが流れたとき私の確信はより深まった。
次シリーズを期待するモチヴェーションもそろそろ切れるこの時期に、こういう忘れるなよ的ジャブ系エンタメ番組(些かどぎついとはいえ)を小出しにしていくのはいい戦略であると思う。
多分、これからもドラマ放映スタートまで此の手の番組ちょくちょくやるんじゃないかBBC。
と嫌な予言をしておこう。

なんでかようにドラマのイメージを悪くするような番組が宣伝になるのだ、と仰る心正しい人であっても、此の番組を視聴した人は一人残らず、「まあまあいいじゃないか」と鷹揚且つ寛大な「アニキ」を演じる(敢えて演じる、と書きましょう)マーティンに好感を持たざるを得ないであろうということには賛同頂けると思う。
私もうっかり「ええ人やなー」と思ったが、まあぶっちゃげて申し上げて芸能人の言動なんてものは(それが幾ら「素」に見えても)幾許か、いや殆どが何らかのオーディエンスの印象操作を意図しているものである。
今更こんなイロハのイを書いても、という気もするが、おおこの人結構賢いやんと一目置いているSherlockファンの方であってもいとも素直にマーティン素敵!マーティンいい人!と絶賛しまくっているのでなんだかなあと思った次第である。
まあだからこそこの番組は(Sherlock番宣として)大成功といえるのだが。

(密かに思うに、マーティン氏はああ見えて結構言葉の端々に気がきついところが見え隠れするので、絶対プライベートではアホかあいつら(Fandamな絵師さん達のこと)とかぶつぶつ愚痴ってる筈、と思うのだが、まあ私もネットやメディアでしか彼を知らん訳でなんともよういいませんすみません)

とまあ余り意味のないことをつらつら書いてきたのだが、つまり何が言いたいのかといえば、やう゛ぁいファンアートを掲げて「中の人」の反応を見ようとする(ように見せる)エンタメ番組も、その中で「いやーまーいいんじゃない」と鷹揚に構える(あるいは、構えてみせる)「中の人」も恐らく共犯関係にあるんだから、「きゃーそんなの本人の前で見せるのよしてー」と心を騒がせナーバスになることはないんじゃないの、ということである。

私には冒頭に書いたとおり、中の人に見て貰いたがるFandamの心理はよく分からないが(そういう妄想の醍醐味って秘すれば花的なところにあると思うんで)、そんなの絶対だめ!中の人は絶対不快に思っている筈!絶対許せん!という正しく厳しい真っ当な(と恐らく自負する)Fanの心理もよく分からない。
何故ならその教条主義も同じく或る種の妄想(思い込み、でもいい)に起因するからである。
こういう言い方をすると語弊があるが所詮ドラマの世界なんて作り物なんだもの、受け手それぞれがそれぞれに妄想して(或いは、しないで)でゅふふと楽しめばいいんじゃないのと思う次第だが如何なものか。

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