さてさて。
到着した新石垣空港は、文字通り光り輝いていた。
真新しい建物の中には真新しい店舗の数々。
旧空港を知るものにとっては、それらは眩いばかりの眺めであった。
しかし私にはそれらを眺めている余裕はなかった。
石垣島に着いてみたはいいものの、足、つまりレンタカーの確保ができていなかったのだ。
この島は車がなければとにかくどこへも動けないので、空港のレンタカーデスクで貰ったパンフレットを繰って片っ端から電話をかけてみるも、三連休の初日であったからだろう、悉く断られた。
ううむどうしよう。
とはいってもこのまま空港にいるのもばからしいので、沖縄旅行(本島も含め)史上初、路線バスに乗って市街まで出ることにした。
外に出ると空は薄曇りで時々日も射していたが、まだまだ強風が吹き荒れていた。
吹き飛ばされそうになりつつバスに乗り込む。
席についてほっと一息ついたところ、上品なおばあさんに
「もう那覇から飛行機、ついたの?」
と話しかけられた。
はい、私の便が第一便でしたと答えると、
「へえ。まだまだ風が強いのにねえ」
と感心しておられた。
「此方はやっぱり台風、きつかったんじゃないですか?」
「ええそりゃもう。だって家はまだ停電してるもの」
「えっ」
「うちはペンションなんだけどね。昨日の夜から停電してご飯も炊けなくって大変だったわよ」
「それはえらいことでしたね…」
石垣ではかなりの軒数が停電している、とは今朝早くのニュースで見たところだがやはり未だに復旧していないところも多いようだ。
今宵の宿は大丈夫だろうか。
バスが動き出すと、おばあさんはまた話し出した。
「うち、すぐそこなの。白保の…」
「ああ、行ったことあります。サンゴがきれいなんですよね」
「そう。空港に大きな水槽あったでしょ?え?見てない?
そこに大きくてきれいなサンゴが沢山あるんだけど、あれ皆白保のよ」
「へえ、見損ねました。帰りに見てみます」
「うちのペンション、フレンドハウスっていうんだけど、あなたの持ってるパンフレットの68ページに載ってるわよ」
「えっ、はい(慌ててページをめくる)」
「素泊まりで1800円なの」
「えっ、それって破格じゃないですか」
「そうなの。だから何度も来るお客さんが多くてね。おかげさまでいつも大繁盛」
「…それは私もいつかお邪魔したいです」
「是非いらっしゃいな」
やがてバスは白保のバス停に着いた。
おばあさんと手を振って別れると、向こうの方に白い建物が見えた。
ほうほうあれがフレンドハウスか。なかなかいいじゃない。
お世辞ではなく、そのうち泊まりに行ってみたいと思った。
バスの旅もなかなか悪くないものだ。
しかし、車窓から見る石垣の風景は見慣れたそれとは随分違ったものであった。
サトウキビは悉くうちひしがれ見る影もない。
道路には木々が散乱し、家の前には壊れた植木鉢が転がっている。
ううむ、やはり相当な規模の台風だったのだな。
複雑な思いで眺めているうちにバスは市街のバスターミナルに到着した。
まずは荷物を預けるべくホテルへと向かう。
今宵の宿は「ホテルグランビュー石垣」。
離島ターミナルにほど近い便利な立地のホテルだ。
石垣の中心地、730交差点に差し掛かったとき、何かがいつもと違うことに気づいた。
なんと、信号がすべて消えているのだ。
ご覧のとおり交通量も多い交差点であるにもかかわらず警官の姿もなく、時折譲らぬ車がクラクションを鳴らしあっている。
ひいおっかない、と怯えつつ、この場をなんとか渡りきってホテルへ。
取り敢えずちゃんと電気はついていたので、まずはほっと胸をなでおろす。
荷を解いたのちは昼ごはんへ。
もういい時間だったのでお腹はぺこぺこだ。
何軒か覗いたがどこも満員だったのでどうするべなと案じていたところ、かような店が目に飛び込んできた。
店外に置かれたラジオから辺りにこだまするはラジオの野球中継。
(高校野球の県大会のようであった)
目にも眩しいブルーの建物には、トニーこと赤木圭一郎のポスターがべたべたと貼られている。
看板には「栄福食堂」とあるが、その下には「トニーそば」との文字が。
うん。
怪しい。
怪しさ満開である。
しかし、私はなんだかここに入らねばならぬという気になっていた。
謂わば使命感である。
使命であれば逆らってはならない。
意を決して入ると、黒光りした顔の小柄なおっちゃんが店の奥から飛び出してきた。
この人がこの店の店主、自称「トニー」さんであるらしい。
その名が赤木圭一郎リスペクトから来ているのか、お名前をもじったところから来ているのかは知らない。
多分両方なのだろう。
そのトニーおっちゃんに開口一番、
「はいいらっしゃい!はいあんたどっからきたのどっからきたの」
と注文より何よりどっからきたの攻撃を喰らい、たじたじとなる。
「ええと、大阪から…」
「大阪のどこ?」
「(分からないだろうと思いつつ)ええと、○○から…」
「お勤めはなに?」
「(聞いてへんなと思いつつ)ええと、大学で…」
「ほお大学の先生!すごいね!」
「い、いえ…」
「で、どこからきたの?」
「…え」
以下、同じ問答が暫くエンドレスで続いた。
おっちゃんは謂わば「瞬間を生きる」人であるらしい。
(好意的解釈)
それはそれで一向に構わないのだが、例の「大学の先生」設定だけは何故やら頭に刻み込まれたらしく、その後もやたら「先生」「先生」と連呼されるには参った。
「で、注文どうする?」
「(ほっとしつつ)えっと、そのメニューにある八重山そばとトニーそばってどう違うんですか?」
「両方一緒!」
「…あ、そうですか。じゃあ折角なので(何がだ)トニーそばで…」
「よっしゃわかった!」
といいつつ、おっちゃんはなかなか話やめようとしない。
「おっちゃんは凄いんだよう。この前はテレビに出たし、石垣に来る偉い人はみんなおっちゃんに会いに来るんだ。ほらご覧、この名刺」
(何やら海外のお偉いさんの名刺がずらっと並んでいた)
「へえ、凄いですね」
「随分前だけど、椎名誠も来たんだよう。で、記事が雑誌に載った」
「ほうほう」
それまでおっちゃんの勢いに押され気味だったが、椎名誠の名に途端に身を乗り出した。
「興味あるかい?その記事はこれ。
(ラミネートされた古いスクラップ記事を渡される。
内容は「かわったおっさんのいる沖縄そばの店」的紹介だった。確かに)
…で、おっちゃんは兎に角凄いんだよう。
昔若いときには船でアフリカに行ってたりもしたんだよう」
「ほい、凄いですね」
「なんってったっておっちゃん凄いから、もう何度もテレビに出たんだよう」
「(テレビの話はもう聞いたで、と思いつつ)ほなおっちゃん、スターなんですね」
「(途端に口ごもり)す、スターじゃないけどな…」
何そのいきなりの含羞。
私のおっちゃんに対する好感度、突如赤マル急上昇(死語)する。
店内その1。
当然?冷房などというこじゃれたものはなく、何台もの扇風機が回っていた。
店内その2。
所狭しと貼られるはトニーの写真である。
ひととおり眺め、やっぱ男前やなトニー、と改めて感心する。
生きていればどれほど渋いオヤジになっていたことだろう。
暫くするとそばがやってきた。
ここのそばは沖縄そばに珍しく鶏がらベースである。
おっちゃんのキャラこそ濃いが、スープの味は拍子抜けするほど柔らかく、且つ塩分控えめであった。
が、そこにピパーツ(南洋胡椒)が効いているので一風変わった味わいと相成る。
好みか、と聞かれれば正直それほどでもないのだが、もはやこの店で味を云々するのもばからしい。
そばを食べる横ではおっちゃんが再び自慢を始める。
「おっちゃんはな、海の男だったんだよう。南米にも行ったしアフリカにも行ったし」
「(アフリカの話はさっき聞いたで、と思いつつ)ほなおっちゃんは世界中の海を又にかける男だったんですね」
「…せ、世界中って訳じゃないけどな…」
あかん、ある意味萌えるからその芸風(?)やめてくれおっちゃん。
食べ終わったころ、おっちゃんがチャイ飲まないかと尋ねてきた。
なんと前述のピパーツを入れるらしい。
冷房もなく扇風機だけの店内で、汗をだらだらかきつつ熱いそばを掻き込んだばかりだったが、聞くだに珍しいので頼んでみることにした。
うん。
これは、旨かった。
正直そばより旨かった。(ごめんおっちゃん)
これは都会のお洒落なカフェで供しても十二分に通用するチャイだと思う。
汗だくで、でも気持ちは優雅にチャイを啜っているとおっちゃんが琉球民謡に興味はあるかと尋ねてきた。
私はほんの少しだけ三線を弾くので(ええほんの少しだけです)ありますと答えたら、おっちゃんはやおらビデオの電源をつけた。
暫くすると、懐かしのVHSの軋んだような映像がブラウン管テレビに映し出された。
画面の中の堂々とした演者は、おっちゃんのお姉ちゃんの息子(つまり甥っ子さんですな)が沖縄芸大?の教授、且つ人間国宝なのだという。
またおっちゃんの大風呂敷ちゃうの、と思いつつ演奏を聴いたところ、またこれが上手なんてものではないレヴェルで吃驚仰天する。
いやこれは思わぬところでいいものを聴かせて頂いた。
チャイを飲み終わり、曲もひとつ終わったところでお礼をいい、店を後にした。
幾らよい演奏でもステージまるごと聴いていたら日が暮れてしまう。
何かひとこと、と差し出されたノートには
「いつかトニー(おっちゃんではなく、赤木圭一郎の方)ファンの父と一緒に来たいです」
と書いておいた。
しかし本当に連れて来たら、おっちゃん二人で赤木談義でえらいことになりそうなのでやっぱり連れて行かないと思う。
ごめん、おっちゃん。
つづくよ~
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