2014年9月24日水曜日

3rd,Sep 2014 古代ローマから「あの」病院へ、そしてセント・ポールやロンドン塔といった定番観光地を巡ること

(前回までの記事)

30th,Aug(2014) 先ずは遙かなるロンドンに向けて出立すること

30th,Aug 2014 なんとかロンドンに到着するもちょいちょい小トラブルに遭遇すること

31th,Aug 2014 ヴィクトリア駅から一路コッツウォルズ地方に向かい、まずバーフォード村、次いでバイブリー村を訪れること

31th,Aug 2014 続いてボートン・オン・ザ・ウォーターにブロードウェイを散策すること

1st.Sep 2014 朝もはよからハイドパークをお散歩すること、そして「聖地」に赴くこと

1st,Sep 2014  聖地その2を訪れたのち、大英博物館にどっぷりと浸かるも途中で白旗を揚げること

1st,Sep 2014 聖地その3を訪れ、ショッピングを、と見て回るもほぼボウズであったこと、そして最後の最後でトラブルが発生すること


9月3日(水) ロンドン:霧のち晴れ時々曇り

ロンドンの朝は(日本と比べて)遅い。
この日はそれに加え、どんよりと曇ってた。
このところお天気には恵まれていたのでがっかりしたが、天気予報によると朝方に霧がでるだけでその後晴れてくるらしかった。


「霧のロンドン」の響きが実によい。
(中二病)

いつも変わらぬ朝ご飯を食べ終わり、いざ外出。
向かったのはSt.Paul駅である。
今日の目的地の中にはセント・ポール寺院も含まれてはいるが、まず最初に赴いたのはここであった。



通称「ロンドン・ウォール」である。
その昔、ここロンドン(当時はロンディニウムと呼ばれた)に駐屯していた古代ローマ軍により作られた城壁跡だが、残念ながら現存するのは中世に改築されたものである。

「なによこの壁」
と母が訝しげにしているので、
「古代ローマ時代に作られた壁(の改築版)だよ。ローマ人はここまで来てたんだよ」
と説明すると、
「なんか壊れかけてて地味よねえ」
と宣った。
いいの、古代ローマ厨はこういうのが好きなの。

次に向かったのは、この病院である。



とはいっても表玄関を見てもなんのことやら、である。


ほら、見えてきた。
そう、シリーズ2エピソード3でシャーロックが飛び降りたセント・バーソロミュー病院である。


そうそう、ここここ!
あのときジョンはこの場所に立ってたんだよ!
この低い建物がトリックの目隠しになったんだよ!
と昂奮して写真を撮りまくる。



あそこからシャーロックが飛び降りたんだ、と感慨(なんの)を新たにする。

「…なによ、この病院」
ほらおいでなすった。
「うん、あの、ここから飛び降りたの」
「誰が」
「シャーロックが」
「あんたの部屋にいるあの頭もじゃもじゃの顔長い人?」←最後は禁句であるぞ
「…そうだけど」
「なんでそんなんが飛び降りた病院来なあかんの。
てか、そもそもなんで病院来なあかんの」
「ごもっともで」
「なんか薬でも貰えるん?」
「もらえません」

ぶつぶつ言う母を宥めすかし、今度こそ本当にセント・ポールへと向かった。
言わずと知れた、英国国教会の聖堂である。


途中、絵本ベンチプロジェクトのベンチ発見




セントポールに到着。
ここもまた入場料はべらぼうに高いが、ちゃんとした日本語のオーディオガイドが借りられる。

(以下、堂内の写真はガイドブックを撮影したものです)


祭壇と聖歌隊席。
ウェストミンスター寺院と負けず劣らず豪奢だ。


セントポールの代名詞、ドーム。
名建築家、クリストファー・レンの真骨頂である。



階下には、かの有名なアドミラル・ネルソンの墓がある。
トラファルガーの海戦で宿敵フランスを打ち負かすも自らも戦死した英雄は、君主以外では初めて国葬され、この場に眠っている。
そのときにはやっぱりラム酒の香りがしたのかしらん、等とアホなことを想像した。
(彼の遺体はラム酒漬けにされ本国に戻されたのだという。しかし彼の武勲に肖ろうとした同乗の兵士達がみんな吞んでしまったらしいが…)

下世話な私は、墓碑の何処かに彼の最後の言葉、「I have done my duty」が記されているかと思いくまなく見てみたのだが、お名前のみ刻まれたある意味シンプルなものであった。
しかし、確か司馬遼太郎も同じ事を書いていたかと記憶するが、この名言(?)、英雄のそれというよりも過労死する前の生真面目なサラリーマンの遺言みたいだな、と思う。
これもまたイギリス的といってもいいものなのだろうか。

セント・ポールを出た後は15番のバスでロンドン塔に向かう。
途中、ちらっと1666年に起きたロンドン大火記念塔が見えた。
セントポールもこの時に焼けた。
前述のクリストファー・レンが設計し再建したものが今の建物である。
サミュエル・ピープスの日記の愛読者である私には非常に馴染み深い(というと不謹慎なのかもしれないが)大火ではある。

道路は少し渋滞していたが、程なくしてロンドン塔に到着。




ロンドン塔の周りには真っ赤なポピーが咲き乱れていた。
今年は第一次世界大戦開戦100周年に当たる。
その追悼記念(というと何か収まりが悪いが)として、有名なアーティストが磁器でできたポピーでロンドン塔を取り囲もうという「作品」を創り上げつつあるのだという。
創り上げ「られつつ」、と書いたのは、この作品(群)はまだ制作途上だからだ。
このポピーは11月11日の終戦記念日に丁度総数が88万8246本となるよう増やされ続けるらしい。
この数は勿論、同大戦に於ける英国及び英国植民地の戦死者の数である。
プロジェクトの正式タイトルは、
「Blood Swept Lands and Seas of Red」
流血に覆われた大地と赤い海、というらしい。
なんとも即物的な、と東洋の子は嘆息をつくのであった。

このポピーは、ニュースによると8月6日時点でまだ15%しか「植えられて」いなかったらしいので、私が訪れたときもまだ半分もいっていなかったこととになる。
それでこれだけの壮観だったので、終戦記念日にはいかばかりの眺めになることだろう。
好き嫌いは分かれるプロジェクトだと思うが、そのインパクト、規模を見て、ウェストミンスター寺院を見たときに感じた、「忘れまい」「忘れられまい」とする意思の強烈さを改めて思い知らされた。


ここにも絵本ベンチがあった
(人が座ってたし、あまつさえ乗ってたけど撮影)

さていよいよ内部に入ろう。
入場料は£22。
この旅での入場料、最高値である。
物価の高さには慣れてきたものの、日本円に換算し暫し目が眩む。

「ご一緒にガイドブックも如何ですかー?」
「…あ、はい。頂きます…」
「日本語のオーディオガイドもどうですかー?」
「……はい…」

色々高くつくよイギリス観光。



トレイダーズ・ゲート。
テムズに面した水門で、ここから船や囚人が運ばれてきたという。
かのアン・ブーリンもここを通ってロンドン塔入りした。
地獄の門の次くらいには、
Relinquite omnem spem, vos qui intratis.
「この門をくぐるものは一切の望みを捨てよ」
という銘文が似合う場所だなと思う。


ホワイトタワー。
世の人はロンドン塔といえばこの建物をイメージするのではなかろうか。


17世紀のこと、このホワイトタワーで2人の少年の骨が見つかった。
これこそがリチャード3世によって殺された(とされる)幼いエドワード5世とその弟、ヨーク公ではないかとされている。
(その後、これらの遺骨は昨日訪れたウェストミンスター寺院に葬られたのであった)
やはりリチャードはひでえ奴だの感を新たにする。
まあ、真相は歴史の闇の中、なんですがね。


中には甲冑や武具がてんこ盛り。


日本の鎧甲発見。
1613年に、徳川2代将軍徳川秀忠からジェームズ1世に贈られたものだという。
この年、初めてイギリスから日本に国王使節が遣わされた。
(因みにその立役者はご存じ、三浦按針ことウィリアス・アダムスである)
使節セーリスは駿府城で先の将軍家康と歓談したのち、江戸城に赴き秀忠に謁見した。
この鎧甲はそのときに下賜されたものだという。
既に1600年代後期にはここ、ロンドン塔に収められていたというから驚きだ。
しかしその頃にはムガル帝国のものだとして展示されていたらしい。
日本人がっかり。


鎧甲や盾やらで組み上げられたドラゴン(だよな)
やたらクールだったので撮影するなど。


出るとカラスに出くわした。
おお、これがかの有名なロンドン塔のカラスであるか。


ウォータールー兵舎。
ここにジム・モリアーティが白昼堂々と押し入ったことで有名な(勿論BBCドラマ「シャーロック」内で、ある)クラウン・ジュエルが展示されている。
内部は撮影禁止であったのは残念だったが、絢爛豪華な王冠や宝物の数々は目の保養になった。
余り人垣ができぬようにだろう、王冠などの目玉展示品付近は動く歩道が設えられていた。
いや、モリアーティのような輩を阻止する狙いがあるのかも?


ヨーマン・ウォーダーズ(ロンドン塔の衛兵)さんがガイドをしていた。
この職に就くには、・軍隊勤続22年以上(但し海軍除く)・善行章を受けている・現役中准尉以上にまで昇進した・任命時40-55歳であること が求められるのだという。


ここ、ロンドン塔で処刑された人々へのメモリアルオブジェ。
処刑場跡に据えられている。


一件長閑に見えるこの建物はクイーンズ・ハウス。
尤もらしい名前だが、その実は刑務所だ。
あのアン・ブーリンも、そして娘のエリザベス1世もここに幽閉された。


その名も恐ろしいブラッディー・タワー。
中には、拷問器具や処刑用品などが展示されていた。
リアルな蝋人形付きで使用方法が懇切丁寧に示されている。
そしてそれを見て、ああ、これこそ英国だわと嘆息する日本人女一人(私です)
こういうえげつないというかリアルなグロが好きだよな、イギリスの方々。

おどろおどろしいまま つづきます

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