2013年3月23日土曜日
ファッションフード、あります。
ファッションフードとは何ぞや?
それは「流行の洋服や音楽、アートやマンガなどのポップカルチャーと同じ次元で消費される食ベ物」であると著者はいう。
つまり、「おなかがへったから」とか「美味しいものをたべたい」といった、食自体が持つメリットをダイレクトに「消費する」のではなく、いや往々にしてその要素も消費しつつ
「こんなにイケてる食べ物を食べてるイケてる私」
という形而上的な快感をも併せて一緒に消費することができる、そんな食べ物を指す。
のだと思う。
多分。
本書は、まず江戸時代から著者が「ファッションフード元年」と位置づける1970年までの日本の食事情を概括する章よりスタートする。
題して「ファッションフード前史」。
(ここだけが昔の雑誌のような目の粗いピンクの紙で印刷されているのには何らかの意図があるのだろうか?)
つまりは江戸の庶民食の隆盛から明治維新による欧米食の流入、そして敗戦によるアメリカナイズされた食の流入といったお馴染みの流れを叙述しているのだが、まあこれはマクラだからねという感満々で、幾つかの食に関するトピックをぽんぽんぽんと並べ、はいこれが当該時期の食事情の概括でござい、と紹介しているのは正直粗い運びだなあと思わざるを得なかった。
勿論マクラであるが故、割ける頁数が限られているのは百も承知ではあるのだが。
且つ、その個々のトピックは勿論史実的に誤りはない(と思われる)しほおなかなか興味深いな、と唸らせられるものが多いのだが、ところどころで「いやいや、ほんまにそうか?」という結論に至っておられるのが少々ひっかかった。
例えば、明治以降の官僚、軍人、新知識人(って何だ)の大半は下級武士以下出身であったので伝統的な和の美食を知らず、よって盲目的な欧米食崇拝に向かわせた云々。
そもそもこの時期の上層階級が押し並べて欧米食を好んだ、という事実はあるのか。
(私の知る範囲内ではそのような事実はないように思うのだが…)
また、軍人が皆欧米(食)かぶれであったならば兵糧が依然として米中心であったことをどう説明するのか。
本書では海軍が脚気の原因が白米にあるとしパン食を導入した結果疾病が激減した有名なエピソードを取り上げているが、このパン食は兵士に極めて不評であった故僅か1年で麦飯に切り替えられている。
勿論己の仄聞の限りではあるが、私は旧日本軍の兵糧において欧米食へのムーブメントはごく一部の例を除き(海軍の肉じゃがやカレーといった「ごはんに合う」ようジャパナイズされたメニュー等)殆ど起こらなかったように理解している。
故にこの部分、何を以てこのような勇ましい結論に軽々と達しているのか分かりかねた。
また、少しくでなく本気で全然意味が分からぬ箇所もあった。
面倒くさいが全文引用してみる。
「明治中期までは流行風俗として受け止められた西洋料理と洋風素材は、近代資本主義の担い手になった中流家庭の婦人達の手で実践へと向かった。
外食する機会の少なかった婦人達にとって、洋食という巷のファッションフードを家庭内に取り込んで浸透させるには流行と新しい食べ物に対する好奇心に合理的な意味を与えるプロセスが必要だった。
と同時に「男は仕事、女は家事」の近代的性別役割分業が芽生えつつあったこの時代、それまで中流以上の家庭では使用人まかせだった調理を主婦自ら担当し、日本人が目指すべき憧れのハイカラ料理を作ることは良妻賢母の必要条件になりはじめたのである」
(本書に忠実にフォントをでかくしてみました)
正直色々分からない。
・「合理的な意味を与えるプロセス」が必要な理由
・そもそもそのプロセスとは一体なんなのか
・そもそも「外食する機会が少なかった」婦人達がなんでまた家庭内に浸透させる必然性に駆られたのか
(当時の婦人雑誌にでかでかと載っていたのは分かるけど、それらは決して「経済」でもないし(昔、倹約することを「経済」といいましたよね)必死こいて作る必然性は正直よく分からぬ)
・「近代的性別役割分業」というのは寧ろ高度経済成長期に用いる言葉かと思っていた。それはさておき性別分業がこの時期に「芽生えた」というのは間違いではあるまいか
・ハイカラ料理を作ることが良妻賢母の必要条件?????
うん、分からない。
この著者の方、時々かような根拠薄弱且つ少々突拍子もない「大きな」結論に至ってしまう傾向がおありになる。
とまれ。
俄然話が面白くなってくるのは「ファッションフード元年」以降のところからである。
(ま、この方元年=1970年には小6だったとのことなので、実体験に裏付けられた面白さであるというところもあるが…)
この年に起こったことといえば、
・大阪万博
・anan創刊(そしてそれに続くnon-noの創刊)
である。
そしてこの二つが日本の食事情にとって重要なエポックメイキングであったと著者はいう。
(重心はかなりananに傾いてはいるが)
つまり人々は万博で世界の食を知り驚嘆し、ananやnon-noといった女性情報誌で同じく世界の食、そして今までダサいと顧みられることもなかった日本の地方の食を「再発見」し、空腹を満たすことや味の良し悪しにかかわらず、それらを「消費してみたい」という欲望を持つに至った、ということらしい。
とまあ詳細を述べていてはキリがないので以下駆け足で概要を申し上げると、アメリカ系ファストフードの上陸、80年代のバブルによるグルメブーム、食の多国籍化、90年代のスイーツブーム、バブル崩壊による食の安価化・粗食化、B級グルメ、スローフード…等々と「ああそうだったそうだった」と膝を打つ食に関するムーブメント、トピックが走馬燈のように駆け巡っていく展開になっている。
その時の雰囲気、ブームは肌や舌で感じてはいたものの、改めて考えてみたこともなかった個々の食べ物たちの出自、変遷の歴史、そしてそれらが織りなす関係性等、教えられることが多々あり、読み終えた時にはうんうんなんか沢山色んなこと知ったよね私、と得した気分になること請け合いである。
また、ああ確かにあの頃は私も友達と連れ立ってティラミス食べにいったものだったわ、等とブームと過去の自分を重ね合わせノスタルジーに浸れるのもまたよいものである。
本書のサブタイトルは「はやりのたべものクロニクル」であるが、そういった意味で捉えると十分、いや十二分に名著であるといえると思う。
ではメインテーマの「ファッションフード」についてはどうか。
ファッションフードという概念が存在し、私達の食生活に確固たる地位を占めていること、それ自体は勿論自明である。
しかしそれが1970年、またそれ以降に生じた諸々のトピックにより突如として登場した、というのはやはり言い過ぎではなかろうかと思うのである。
冒頭で70年以前の食事情の流れの記述が些か恣意的に過ぎるのが目につく旨述べた。
そこでオミットされた夥しい事象をほんの少し抽出して考えてみても、江戸期の庶民食事情においても、また明治、大正期においても、実は食をファッションとして消費する趨勢は(勿論大都市圏に限られるとはいえ)厳然として存在したのではないかと思われる。
(現に本書でも明治期の洋食を「ファッションフード」とする記述が見える)
例えば本書にも掲載されている「食の番付表」。
これを眺めてああ一度不動の横綱、八百善にお料理食べに行きたいわというのは「八百善」というファッショナブルな記号に対する欲望の表れではないのか。
また、例えば江戸期の「奈良茶」(奈良茶飯)やら「田楽」やらのブームも謂わばファッションの流行と同様に見ることができるのではないか。
てやんでえ、奈良茶は奈良茶でもどこのだっていい訳じゃねえ。
浅草は待乳山聖天宮門前の茶屋のでねえと駄目なんだよ。
とか江戸っ子が言い出したらならば(実際かような感じだったそうな)、これはもう立派なアンノン族である。
他にも例を挙げたら枚挙に暇はない。
明治~昭和初期までスパンを広げたならば更にサンプルは増大するであろう。
更にいうなれば、この趨勢は時代、地域に限られたものではない。
食のファッション化、乃至記号化というのは余剰、余裕が出来した人間社会にはほぼ見られる謂わば普遍的な現象であろう。
例えばファレルヌムのワインが持て囃された古代ローマ然り。
故に、寧ろ食のファッション化は1970年に「誕生した」のではなく、先の大戦で一度断絶したとはいえ連綿と続いてきた日本人の、いや人間の殆ど普遍的とでもいうべき食へのアプローチ=食のファッション化が、経済復興を経て万博やファッション雑誌の創刊といったトピックを機に息を吹き返し、更には食のグローバル化等の全く新しい大きなムーブメントに曝されることにより一層裾野が広がり、且つよりはっきりと鮮明に姿を現したのだというべきであろう。
確かに戦争、敗戦という「生きんがために食す」という悲惨な事態が介在したが故に、その後のファッションフードの隆盛がよりブリリアントに見えるということはあるかもしれないが、その表象を以てこの概念が「誕生した」というのはやはり誤謬なのではないかと考える次第である。
また、上「ファッションフード前史」の感想にも少し書いたことではあるが、本著者氏は確かに浮かんでは消える徒雲のような食のトピック、モードに関しては博覧強記でいらっしゃるが、それらから普遍的な結論じみたものを導き出そうとなされる際、悉く、は言い過ぎでもかなりの確率で失敗なさっているように思う。
そもそも、個々の食のトピック、モードというものはそれらを網羅して眺めてみても
「ああ、食はファッション化するものなのだねえ」
以上の結論はでないものではあるまいか。
この「クロニクル」はそれ自体で十分面白く有意義なものであるので、それ以上の陳腐な解釈を試みるのは蛇足、いや有害ですらあると思う。
とまあ少々、いやかなり異論はあるものの前述の通り全体として非常に興味深くあっという間に読める本であった(いい意味で)
食に興味がある万人にお勧めできる良書である。
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(ステマですねすみません)
(でもないですね。ただの「マ」ですねすみません)
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