30th,Aug(2014) 先ずは遙かなるロンドンに向けて出立すること
30th,Aug 2014 なんとかロンドンに到着するもちょいちょい小トラブルに遭遇すること
31th,Aug 2014 ヴィクトリア駅から一路コッツウォルズ地方に向かい、まずバーフォード村、次いでバイブリー村を訪れること
31th,Aug 2014 続いてボートン・オン・ザ・ウォーターにブロードウェイを散策すること
1st.Sep 2014 朝もはよからハイドパークをお散歩すること、そして「聖地」に赴くこと
1st,Sep 2014 聖地その2を訪れたのち、大英博物館にどっぷりと浸かるも途中で白旗を揚げること
1st,Sep 2014 聖地その3を訪れ、ショッピングを、と見て回るもほぼボウズであったこと、そして最後の最後でトラブルが発生すること
2nd,Sep 2014 ウェストミンスター「大聖堂」、そしてバッキンガム宮殿を見学すること
2nd,Sep 2014 引き続きバッキンガム宮の「厩」を見学し、公園を散策し、ウェストミンスター「寺院」を訪れること
2nd,Sep 2014 遂に幼き日から憧れた聖地、シャーロックホームズ博物館に巡礼すること
2nd,Sep 2014 遂に幼き日から憧れた聖地、シャーロックホームズ博物館に巡礼すること
2nd,Sep 2014 お洒落なマリルボーン・ハイ・ストリートを歩いたのち、やっとまともな夕飯にありつくこと
3rd,Sep 2014 古代ローマから「あの」病院へ、そしてセント・ポールやロンドン塔といった定番観光地を巡ること
3rd,Sep 2014 ロンドンブリッジではないタワーブリッジを渡ること、そしてテムズ川をなんちゃってクルーズすること
3rd,Sep 2014 古代ローマから「あの」病院へ、そしてセント・ポールやロンドン塔といった定番観光地を巡ること
3rd,Sep 2014 ロンドンブリッジではないタワーブリッジを渡ること、そしてテムズ川をなんちゃってクルーズすること
3rd,Sep 2014 公園やらコヴェントガーデンやらを見て回ったのち、ムール貝天国を心ゆくまで愉しんだこと
4th,Sep 2014 「The Empty House」ことLeinster Gardensを探訪し、改めてPaddington駅を見て回ること
4th,Sep 2014 バスに乗ってピカデリー・サーカス、そしてトラファルガー広場にナショナル・ギャラリーと鉄板の観光をすること
Richard Ⅲ,Trafalgar Studios (4th,Sep 2014 matinee)(観劇感想)
4th,Sep 2014 イギリスでの「最後の晩餐」は、あのローストビーフの名店で頂いたこと
遂にイギリス、最後の日である。
果たしてこの気温差で生きていけるのだろうか、と暫し空を見上げた。
ハイドパークを臨むレストランで朝ご飯を食べるのも今日が最後。
最後まで全く変わり映えのしないラインナップだったけど、これが食べ収めとなるとなんだか名残惜しい。
出発まで間があったので、今まで使ったオイスターカードの残金を計算してみた。
さすれば1ポンドなにがしとの結果が出たので流石私、計算通り(でもなかったんだけど)と自画自賛する。
返却すればデポジットの5£共々返ってくるが、母は記念にとっておくというし、私は来年ベネディクト・カンバーバッチのハムレットを見に再び渡英するので、そのままにしておくことにした。
そろそろ時間となったので荷物を纏め出立す。
ベッドがダブルだったり金庫壊れてたり天井から水だったりいろいろあったけど、スタッフの対応や愛想は大変よかったし、熱いお湯はたっぷり出たしトイレは流れたし(これホントに重要)まあまあよいホテルだったのではないかと思う。
もう一度泊まるかと聞かれれば考えるけど。
重いスーツケースをごろごろひっぱり、再びパディントンへ。
すんなりヒースロー・エクスプレスに乗り込み、あっという間に空港に到着した。
搭乗手続きもなんなく終了し、あとはお土産物を見て回るのみである。
第4ターミナルにはハロッズの支店があり、ちょいと値の張るものはナイツブリッジのハロッズよりも安いよ(それは多分VAT分なんだろうけど)というのをウリにしていた。
ここで記念としてジャスパーウェアのオーナメント(クリスマス用かな)を1つ購入した。
どう見ても今年(2014年)に生まれた赤ちゃん用なんだけど、まあ年が入ってるから旅行の記念になるかなあと思った。
これが今回の旅で買ったものの最高値であった。
(とはいえども25£位だったんだけど)
あとは友人みやげだのなんだのをちょこちょこ買い、余ったポンドでサンドイッチを食べて終了。
さあいよいよアムス行きの便に搭乗だ。
なんだが。
搭乗したはいいものの、我がKLM機はいっかな飛び立たない。
おいおい困るよ困るよ、確か帰りのトランジット時間はすごくタイトなんだよ。
たっぷり30分経過した頃、ふと次の飛行機の正確な搭乗時刻を確かめておこうと思い、チケットを見直した。
「…ありゃ」
「どしたの」
「こりゃ間に合わないわ」
「へ?」
「次の飛行機飛ぶの、今から40分後だわ」
「え。今まだイギリスじゃないの。アムステルダムまで1時間くらいかかるんでしょ?」
「うん」
「どうなるの」
「うーん。次の飛行機になるんじゃない」
「次のっていつよ?」
「明日」
「…」
「まあ仕方ないやねー」
「って、どうするのよ」
「どうしようもないやねー」
「空港に取り残されるの?」
「まさか。そんなのKLMのミスだもん。
ホテル代と食事代くらい出るよ」
「なんでそんなの分かるのよ?」
「いっぺんそういう目にあったから」
それは今から10年程前にニューカレドニアに旅行した時のことであった。
たっぷり遊んでさあ帰国しよう、と空港に到着したら、エアカラン(ニューカレドニア航空)の地上職員から
「ごめん、お前(他数名)は日本行きの便に乗れない」
という宣告を受けた。
はあ?と訳を聞くと、
「今日の日本便に搭乗予定だったCAのうち、何人かがストライキした。
法律で乗客とCA数の割合は決まっているからお前たち乗れない」
と宣う。
んじゃどうするのさ、と聞くと、
「今からETAS取ってもらう」
という。
ETASといえばオーストラリアのビザだ。
ええと、それはつまり…
「そう、まずシドニー行ってね。
それから日本行の便に乗ってもらうから」
…お、おう。
シドニーに渡ったのちはシェラトンのデイステイとお食事代をあてがわれたが、結局ホテルではいっかな休まず(食事は頂いたが)、タクシーに飛び乗っておおあれがオペラハウスか、などと思いがけない観光を愉しんだのはよい思い出となった。
そして帰りの日本便ではビジネスにグレードアップされていたのも大変よい思い出となった。
という訳で。
どんどんブルーになる母を尻目に、私はやおら機内誌に手を伸ばした。
「何見るのよ」
「うん、別にぃ」
「…なにアムステルダムの地図見てんのよ」
「別にぃ」
「なんか変なこと考えてない?」
「わー、ゴッホ美術館がある。ここは前に行ってないから行きたいな」
「ちょっと」
「そだ、ユーロ持ってないから幾らか替えなきゃ」
「なんか愉しんでない?」
「別にぃ」
そうこうしているうちに、やっとのことで飛行機はのろのろと動き出した。
愛しのイギリスよさようなら、なのだが、この時私はそんなことはさっぱり忘れ、ひたすら地図を眺め妄想に浸っていた。
いやあ、帰国日を一日余分に見ておいてよかったなあ。
ところが。
着陸間際のアナウンスでは、
「関西空港に行かれる方はEのなんたらにゲート変わってるからよろしくねー」
というようなことを言っている(英語難民)ではないか。
「あれー、間に合うのかなあ?もうとっくに搭乗時刻過ぎてるのに」
「待ってくれてるんじゃないの?」
待ってくれなくてもいいのに、と内心むくれながら飛行機を降りた。
しかし間に合うのでは仕方がない。
母親をせかし、超急ぎ足で目的のゲートに向かっていると、私を日本人と見たのであろうKLM地上職員がすっ飛んできた。
うん、そうだよね。
搭乗時刻すぎてるもんね。
「お前はナリタに行くのか?」
「…?違うよ」
「あっそう」(遠ざかる)
「あ、あの、カンサイはあっちのゲートでいいんだよね?」
「へ?カンサイ?あ、ああ、多分そうよ」
なんかおかしい。
目指すゲートに辿り着くと、セキュリティチェックの前にずらっと行列ができていた。
うん。
かなりおかしい。
「…あれ?なんでみんなまだいるの?」
「他の人も遅れたのしら?」
「でもさっきのロンドン発の飛行機、どうみてもアジア人、私らだけだったけど?」
ここで改めて搭乗券を眺めてみた。
「…
あーっはっはっは、そういうことかー」
「何がよ」
「これ、イギリス時間で書いてあるのよ。
てっきりアムス時間(+1時間)だと思ったから間違えちゃったー。あはは」
このあと、私が母にどんな目に遭わされたかはご想像にお任せする。
かくして、私のアムスの休日の夢は幻と消えたのであった。
柳の下にドジョウはいなかった。残念。
というわけで我がKLM便は無事にスケジュール通りアムスを飛び立ったのであった。
帰りはバリバリのエコノミーだったので、行きのビジネスとの差が身に染みた。
やはりお金はただ出すもんじゃない。
俺、今後はビジネスで旅行できるようちゃんとお金貯めるんだ。
と誓う。
機内食もまあアレ
(撮り方自体もいかにもぞんざいである)
でも夜中のアイスは美味しかった
帰りの映画は
・マレフィセント
・キャプテンアメリカ ウィンターソルジャー
・ホビット2
を見た。
あなた、後者2つは円盤持ってますよね
(再び)
長い長いフライトを終え、ほぼ定刻に関空に到着。
丁度到着フロアで行われていたミニだんじり祭りも尻目に、そそくさとリムジンバスに乗り、死んだように眠りつつ家と辿り着いたのであった。
夕飯には(銀のさらだけど)出前寿司を取った。
まあなんの変哲もない握り盛り合わせであったが、赤いネタがパプリカでないだけで感涙を禁じ得なかったのであった。
(パプリカ寿司ネタにつきましては此方をご覧下さい)
これにて母娘イギリス珍道中旅行記は終了です。
長々と(ほんとに長々と)お付き合いくださり、ありがとうございました。
0 件のコメント:
コメントを投稿