ラベル NewOrleans(2015) の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル NewOrleans(2015) の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2015年3月22日日曜日

ニューオリンズ行顛末記(三日目:やっと日本を脱出しニューオリンズに辿り着くこと)

旅行三日目の朝(但しまだ日本)である。

ホテルの簡単な朝食をしたためたあと、上司に電話を掛けた。
まずはかいつまんで状況を説明し、驚く(そりゃ驚くだろう)上司に今後出張を続行させるか否かの指示を仰いだ。
正直、既に疲れ果てているし残してきた仕事も気になるしで、もういいから帰ってきなさい、という回答を期待していなかったといえば嘘になる。
なので、今から渡米したところで目的のカンファレンスの日程のうち後半半分しか参加できないんですよ、しかもメインに考えていたのは前半なんですよ(これは本当)などということにポイントをおいて訴えてはみた。
上司氏も事情が事情だけに無碍につっぱねるのは気の毒だと思ったのか、それでは更に上の上司に相談してみるね、と言ってくれた。

数十分後、コールバックがあった。
「…お疲れだとは思うけれど、やはり行ってください」
…ああそうだよね。そうだよね。
多分私が上司でもそう言うわ。
(報告書作らないといけないし)
H嬢は上の上の上司を恨んでやるー恨んでやる―と繰り返し呟いていた。

とまれ運命は決まったので、ホテルのチェックアウトを済ませ、3度目の成田空港へと赴く。
航空券チェックインは機械を使わされ、やたらめったら情報を入力させられたが
(メアドや宿泊地住所など。英語の住所をタッチパネルで入力するのは実に面倒であった)
なんとかつつがなく終えた。

その後はセルフカフェテリア系食堂(なんといったらよいのやら)で搭乗時間まで延々4時間強待ちを入れた。
真面目なH嬢はカンファレンスのハンドアウトを解読していたが、不真面目な私はツイッターでアカデミー賞の行方をチェックしていた。
そもそも、このアカデミー賞も現地アメリカでリアルタイム視聴できるはずだったのだ。
結果、私の御贔屓のベネディクト・カンバーバッチ氏は惜しくも?主演男優賞を逃したが、受賞したエディ・レッドメイン君もなかなかの好俳優であるし、前評判のよかった「Birdman」が4冠に輝いて観るのがますます楽しみになったし、その他にも馴染みの俳優やら作品やらの受賞におおっ!と昂奮したりで、ツイッター上とはいえなかなか楽しいひとときを過ごすことができた。

やがて頃合いとなったので、取り敢えず出国手続きを済ませた。



ここまで来たって信用できないのは一昨日の経験による。

搭乗ゲートで待つこと暫し、定刻に搭乗案内が開始されいよいよ(再び)飛行機に乗り込んだ。



ここまで来たって信用できない(以下略

しかしなんという奇跡か、はたまた3日目の正直か、我がユナイテッド航空ワシントン行きは動きだし(動いたぞ!)その後飛び立った(飛んだぞ!)
飛行機が動いたことに立ったクララばりに感動したのは初めての経験であった。

安定飛行になったところで、一昨日1時間だけ見た(その後飛行機を降ろされた)「Boyfood」を再度見始めた。
邦題「6才のボクが、大人になるまで。」であるこの映画は、その名の通りとある男の子の6才から18才までの12年間の物語(勿論フィクションだが)を、同じ12年間をかけて撮影した話題作である。
日々のできごとのスケッチ(勿論時折ドラマも起こるがあくまで「時折」である)を淡々と積み重ねていくというスタイルではあるが、最後まで飽きさせないのは流石だと思った。
多分それはまあこの子こんなに大きくなって、という親戚のおばちゃんモードが発動されるからなのかもしれない。
少なくとも私はそうだった。
ただ、年月の凄味という要素を除くと、さほど記憶には残らぬ映画なのではないかと思った。



映画の途中で機内食がやってきた。
なんだったか覚えていない。
つまりそれくらいの味であった。
アメリカの航空会社のアジア便はアルコールが有料(でしたね?)なので、飲み物はトマトジュースで済ませた。
誰が盗人に追い銭なんぞするか。
(些かきつい物言いだが、この時の私の心境はそんな感じだった)

映画を観終わったあとは参加カンファレンスのハングアウトを必死で読む作業をした。
予定日数の半分の参加となったとはいえ、いやそれだからこそしっかり読み込んでおかねばなるまい。
他にも観たい映画はたくさんあったけど、意志の弱い私には珍しく義務を優先した。



ほめてほめて


夜食のスナック。
つめたいハンバーガーつらい。
食べたけど。



朝ご飯。
オムレツの下に敷いてあったのがケチャップではなくトマトソースだったことに驚いた。
アメリカ人はなんでもかんでも、とくにオムレツには絶対ケチャップかけるという先入観が覆された瞬間であった。

これらを平らげて暫くすると、我が飛行機はワシントンDCに到着した。
都合3日かかって漸くアメリカに上陸したことになる。

飛行機を降りロビーに辿り着くと、驚いたことに同便の乗客と思しい男性から突然「ぴこらさん!」と声をかけられた。
「あら!こんにちは」
「いやー、同じ便だとは聞いてましたが、酷い目にあいましたよね」
「え、そうなんですか!ほんとですねー」
「ではまた」
「はいー、またのちほど」

少々言葉を交わし、再び歩きだすとH嬢が追っかけてきた。
「ぴこらさん、今の人だれですか?」


「知らない」


「え」

「誰だろう…」
「でも普通にしゃべってましたよね」
「そりゃこんなとこで名前呼ばれたなら知り合いには決まってるし、そんな相手にあなた誰です、って聞くわけにもいかないし…」
「あ、ひょっとしてSさんじゃないですか」

そういえば、去年度までうちの職場にいて他大学(N大学)に転勤になったSさんもこのカンファレンスに参加する、という情報は事前に得ていた。

「…だった、かも…」
「覚えてないんですかー??Sさん」
「だって、後ろ向きに座ってたし、1年しか一緒じゃなかったし、顔あんまり覚えてないんだよね…」
「えー…」

そう、私は壮絶といっていいほどに人の顔を覚えるのが苦手なのだ。
下手したら5回サシで逢った人ですら顔を覚えられなかったりする。

「で、でも私がここに来てるの知ってて、しかもここにいる日本人男性といえばSさんしかいないよね。うん、Sさんだ。Sさんに違いない」
「でも、どうして同じ便だったって知ってたんでしょう」
「うっ…」

確かにこのカンファレンスにぴこらが行くよ、という情報くらいはN大学にも伝わっていただろうが、どの航空便でどこ乗り継ぎで、という話までは伝わっていないであろう。
ましてや当初の予定(ヒューストン行き)とは違うワシントン行きに乗っただなんて、現時点では私の上司様もご存じない。

色々と謎に思いつつ、取り敢えず入国審査に向けて歩き出すことにした。

ワシントンは晴天なれどもあちこちに雪が残っていて、いかにも寒そうであった。



そんな外の景色を横目で眺めつつ審査場へ。
指紋をとられ、おきまりの滞在日数や目的やらの質問を受けた後、なんなくスタンプを頂戴した。
イギリスの入国審査とはとは大違いだ。
(とかいいつつ、私は前回母連れだったので非常に感じの良い審査しか経験していないのだが)

解放されたのち、しばし売店をぶらつく。
とはいえどもあまり大したものはない。
アメリカ本土にやってきたのは小学生ぶりなのだが、その時に好きだったTic-Tacというミントタブレットがあったので懐かしくなって買ってみた。
買って気付いたのだけど、これイタリア製なんだった。
ミントなのにどこかバニラ風味がして美味しい。

ニューオリンズ便の待合フロアに行くと、先ほどのSさん(仮)とお連れの人らしき人たちが既に座っていらした。
先程の謎の答えを尋ねてみたくはあったが、ほぼ間違いないとはいえ未だ(仮)付なので、そっと遠目で眺めるだけにしておいた。

とまれ、そんなこんなでいよいよ搭乗開始。
ワシントンーニューオリンズの所要時間は3時間ちょっとで、国際線のあとで、しかもヒューストンーニューオリンズ(約1時間)を想定していた私には少々きつい旅であった。

とまれ、3時間ちょっと後、やっと、そうやっとのことで我々はニューオリンズの地に到着した。

空港から市街地(フレンチクオーター)までは乗り合いバスもあるが、時間もかかるのでタクシー(一律33ドル。チップをいれて36ドルくらい)がおすすめである。
と『地球の歩き方』に書いてあったので素直に従うことにする。
待合場所に並ぶ人はさほど多くはなく、運転手氏もトランクを荷台に積んでくれたりと親切であった。
(これ意外とやってくれないところが多い。沖縄とか)
H嬢がホテル名を告げるとおおMaison DupuyねOKOK、とすぐ通じ、至極スムーズに事は進んだ。

やがてタクシーは高速道路に乗り、一路市街地へと疾走を始めた。
運転はまあまあ荒いしスピード過多だが、まあアメリカっちゃこんなもんだろう。
どれニューオリンズの風景とはどんなもんかな、と外を眺めても、見えるのは夜の阪神高速とそう大差ない味気ない景色であった。
まあ夜の高速っちゃどこでもこんなもんだろう。

しかしフレンチクォーターに入ると雰囲気は一変した。
そこは、いかにもアメリカ南部の夜の街であった。
(適当な個人のイメージです)

我々の宿であるMaison Dupuy Hotelはこれまたいかにもコロニアルな(やはり個人のイメージです)素敵なホテルであった。
部屋も広々としており一人には勿体ないほどである。







恐らくかなり古い建物と見え、時代がかかったエレベーターの音には少々どぎまぎしたが、他は全て綺麗にリノベートされており、wi-fiもしっかりと飛んでいた。

荷を解いて一段落したのち、H嬢と共に夕食を食べるべく夜の街へと繰り出した。



ニューオリンズは眠らない街と聞いていたが、この日は月曜だったこともあってか人出はまばらであった。
グーグルマイマップで作った「レストランと気になるお店マップ」(そういうものを作る暇はあった)を手に歩くこと暫し、あったあった。


「GUMBO SHOP」

その名の通り、ニューオリンズの名物料理、ガンボ他のクレオール料理がウリのレストランである。
連日行列ができる有名店とのことだが、時間が遅かったこともあってかすんなりと入ることができた。

席に着き、まずは何呑むべなとメニューを眺めていると、陽気なウェイトレスさんがにこやかになにやら話しかけてこられた。
「…??」
疲れと訛りのせいで、いやなにより英語難民のせいで言っていることがさっぱりわからない。
「よくわかんないんだけど、ビールがどうの、って言ってる?」
「なんか地ビールがおすすめみたいですよ」
「わー。そんじゃそれにする」
お勧めに従い、私はアンバー、H嬢はライトタイプのものを注文した。



この「ABITA」という地ビール、ものすごく私好みのビールであった。
日本のクラフトビールでもここまで自分の味覚にぴったりあったものはそうそうない。

そしてお待ちかねの料理である。



基本のシーフードオクラガンボ。



御存知ジャンバラヤ。



ターニップグリーン。蕪の葉の煮物だ。
見かけは地味だが滋味深い
(洒落じゃないよ)

どれもこれも、うちなーぐち(沖縄弁)の「あじくーたー」(味が濃く深みがある)という言葉がぴったりくる、大変美味しい料理であった。
和食の淡い薄口を尊ぶ上品な向きには濃すぎると不評かもしれないけど、どちらもうまいうまいと頂く私のような節操なしには大歓迎である。
やはり噂に違わずニューオリンズはアメリカの食の特異地域であるようだ。

食後、スーパーに寄った。
このスーパー、先程のアビタビールの品揃えが素晴らしく、ぱっと見ただけで14~5種類は並んでいた。
喜んで駆けよるも、皆半ダースセットでちとがっかりする。



イチゴやグレープフルーツなど変わったフレーバーも試してみたかったが、半ダースしか選択肢がないとなれば冒険はできず、一番スタンダードと思しきアンバーを選んだ。
(半ダースもあるから買わない、という選択肢はない)

あとはパックになったボイルドザリガニを発見した。



量を見るとお手頃価格のようだが、可食部がどれくらいあるのかが未知数なのでなんとも判断はつきかねた。

お土産用にどうかしら、とアメリカンなスナックも眺めたが、とりあえず先程の半ダースビールだけを引っ提げてホテルに戻った。
女子なH嬢は食後の甘そうな(本当に甘そうな)お菓子も買っておられた。

ホテルについてさて一服、と思いきや、やにわに
「ぴこらさん、シャワーの使い方分かりますか?」
とH嬢が尋ねてきた。
「え、ちゃんと見てないけど、普通に使えるんじゃないの?」
「それがさっき出ていく前に色々やってみたんですけどだめなんですよ…」
「そうなんだ。じゃ私の部屋で確かめてみるか」
そこでH嬢を部屋のバスルームに招き入れ、レバーをひっぱったり回したりしてみたけれど、いくらやっても湯は虚しくカランから出るばかりでシャワーからはひとったらしも出てこない。

暫く格闘したがうんともすんともだったので、業を煮やしてシャワー部分と操作部分を写真にとり、フロントでこれどうやって使うの?と聞いてみることにした。



説明用写真

「あー、このレバーを右に回したらいいよー」
ってそれさっきから何回もやってるんだけど。
と言いかけるも、お兄ちゃんが2人がかりでうんうん、それで出るよ、間違いないよ、と満面の笑みで請合うので、じゃ、じゃあもう一度トライしてみます、とすごすご部屋に戻った。

けれどやはりシャワーは出ない。
もはや万策尽きたか、と思った頃、カランの上に小さなぽっちりがあることに気付いた。
えいやと引っ張ってみても状況は変わらなかったが、懲りずにレバーを右に回しつつえいやえいやと頑張ったところ、やっとのことで恵みの雨が降り注いだ。
(そして私はお約束通りびしょぬれになった)
なんだよー、こっちの人には自明なのかもしれないけど、アジア人困ってるんだからぽっちり引っ張れっていってよー、とH嬢とひとしきり愚痴ったのち、ようやく熱いシャワーを浴びることができた。

さっき買ってきたアビタビールの栓をぷしゅっと抜き、ぐいっと呷ってぷはー極楽極楽、とベッドに倒れ込んだときは実にしあわせであった。
三日(!)かかったけど、はるばる来たぜニューオリンズ。
明日からは一応(ええ、一応)メイン行事の始まりである。

2015年3月8日日曜日

ニューオリンズ行顛末記(二日目:やはり日本を出られないこと)

出張二日目。(一応)
昨日までは夢にも思いもしなかった日本は東京での朝である。
ヒューストンへの代替便は16時に出るとのことだったが、乗り継ぎのニューオリンズ便を未だ確保していないことを考えたら早く成田に赴くに越したことはない。
故に、買っておいたバナナとヨーグルトの朝ご飯をむしゃむしゃと食べた後、早々にホテルを後にした。

宿泊地が三田だったので、不幸中の幸い?で地下鉄に乗る前に東京マラソンを垣間見ることができた。


先頭集団って本当に速いんだ!と感心する。
(アホ)
しかしなんでまた、本来ニューオリンズで夕飯でもしたためている筈のこの日この時間に私は東京マラソンなんぞ眺めてるんだ。
ということは、虚しいので余り考えないようにした。
考えたけど。

昼前に成田に到着す。
ユナイテッドのカウンターには既に列ができていた。
少しでも早く受付をするために並びながらお昼を食べておこう、とH嬢と交代しつつ食糧確保に赴く。
私が買ったのは巻き寿司とお稲荷さんの寿司折りである。
出立前に少しでも米粒を食べておきたい、というが故の選択だったのだが、おかげで寿司折りを立ち食いで食すというシュールな体験をする羽目になった。


おいしかったよ

途中まで食べた後に番が来たので、慌てて寿司折りを仕舞いカウンターに向かう。
お姉さんは親切且つ丁寧で何度も謝ってくれたが、そんなことはどうでもよい。
果たして、私達は今日中(現地時間)にニューオリンズに行くことができるのだろうか?

「…(調べる)
ああ、申し訳ございません。他の乗り継ぎ地も全て調べましたが、本日中にニューオリンズに到着する便はどれも満席でございます。
ヒューストンに一泊頂けましたら翌日に着くことは可能ですが…」

…やはりそうか。

「わかりました。では今日も成田に一泊して、翌日にアメリカに渡ってニューオリンズに行くことは可能ですか?」

「…(再度調べる)
ああ、それでしたら可能です。では成田のホテルをお取りしますね」

訳の分からん(失礼)ヒューストンよりは成田に一泊する方がよっぽどよい。
本当はこの日中にアメリカに着けたならばアカデミー賞をリアルタイム視聴できるというメリットがあったのだが、この場に及べばもうそのこともどうでもよくなっていた。

(後にこの選択が正解だったことが明らかになる。なんとこの日のヒューストン行きの便もまた欠航となったのだ。詳しくは後述する)

その後、振替便のチケットやら欠航証明書やらを受け取り、手続きはなんとか終了した。
欠航便チケットを指定のレストランで見せると1500円分(それだけ?)の食事ができるとの事だったので、寿司折りを掻き込んだ後ゆえさほど空腹でもなかったが食べに行くことにした。


取り敢えず昼ヤケビールをしたためる。

たこ焼きやら(何故)揚げ物などをつまみつつ、H嬢と協議した。
・これで4日間のカンファレンスのうち、少なくとも後半2日しか参加できぬ事が確定した
・これでは行く意味があるのだろうか
・てかもう行きたくない
・疲れた
・おうち帰りたい
・明日は月曜日なので、朝一番で互いの上司に連絡し今後どうすべきか上奏しよう
・そうしよう

協議というよりは愚痴の言い合いであったが、事情が事情だけに致し方あるまい。

食べた後、再び重いスーツケースを引き摺り空港を後にした。
ユナイテッドが取ってくれたのは京成成田駅すぐのコンフォートホテルである。
チェックインののち、H嬢と近所の大きなスーパーに買い物にでかけ、夕飯用の軽い食べ物と酒をしこたま買い込む。
余り吞まぬH嬢も今日は吞みます!と梅酒やらの可愛いお酒を買っていた。

宿に戻りH嬢と別れ、早めのシャワーを浴びたのちはひたすら一人晩酌に邁進した。


アメリカに行けぬ代償行為としてのアメリカビール嚥下

日曜夜のお楽しみ、ダウントン・アビーを見たのち(いつもながらに面白かった)、明日の今頃には私はどこにいるんだろう、と宇多田ヒカルのようなことを考えつつ眠りに落ちたのであった。


2015年3月3日火曜日

ニューオリンズ行顛末記(一日目:まずは日本を出…られないこと)

某月某日土曜日のこと。
私は伊丹空港にいた。
用向きはアメリカはニューオリンズへの出張である。

海外出張なんて羨ましい、と思う向きもあるだろうが、正直この日が来るのは非常に気鬱であった。
出張の内容は、仕事に関係…なくもない分野のカンファレンスへの参加である。
ぶっちゃけ日本語ででも分からない内容を分からない英語で聴きにいくという不安もさることながら、出張後この成果をレポートし発表会まで開かねばならないという重荷を背負わされている、ということがこの気鬱に拍車をかけていた。

出張の相方嬢(以後H嬢とする)との待ち合わせの時間より30分も早く着いたので、取り敢えずドルを交換しにいった。
伊丹は基本国内空港なので、外貨交換所は本屋のレジが兼ねていた。
しかも取り扱いが100ドルパック(USD20×3枚、USD10×3枚、USD1×10枚)のみである。
一応500ドルほど替えておいたが、1ドル札が50枚というのには正直参った。
おかけで財布はぱんぱんである。
当地に着いたらせっせと1ドル札を消費せねばならない。

それでもまだ時間があったので売店を覗く。
大好きな伊丹のゆるキャラ「そらやん」グッズがあったので、旅前にもかかわらず速攻で手に入れた。



ストラップは早速ICレコーダーにつけた。
リアタイでは無理でも、どうか難解な英語の講義、聴き取れますように。

そうこうしているうちに時間になりH嬢と合流す。
国際線乗り継ぎ開始時刻までには間があったので、2人で日本最後の昼食を食べに行った。
食べながらも会話は重く途切れがちである。
私より英語ができるH嬢も、今回の出張は気が進まないらしい。

実は、この出張にはもう1人、英語堪能女子が参加するはずだった。
私達は彼女に多大な期待を寄せていたのだが(いかんのだが)、なんと彼女は不幸な事に出発一週間前に病気が発覚し入院するという憂き目に遭ったのであった。
旅行中に発症しなくてよかったよね、とほっとしつつも、この事実は私達出発組2人に暗い影を落としていた。

「…どうなりますかね」
「…まあ、死にはしないよ」

等と余り愉快でない言葉を交わしつつ、ずずっと蕎麦を啜った。


味はあんまり覚えていない

そうこうしているとチェックインの時間となったので窓口へ。
この日は春節ウィークの週末だったので、兎に角中国(か台湾か)の乗客が多かった。
そして皆、判を捺したように電化製品の段ボールを抱えている。
それも業者の仕入れか?というほど大量だ。
皆が必ず持っているのは、噂通り炊飯器である。
中国と日本の電圧は違う筈なので変圧器でもかませるんだろうか。

チェックインも搭乗もスムーズに済み、ANA便で一路成田へと向かう。
乗客の殆どが件の春節中国人客で占められており、一瞬中国行の便と間違えたかのような錯覚を覚えた。

1時間強で成田着。
出国手続きも、人こそ多かったが勿論スムーズなものである。
ゲートに着くと、搭乗予定のユナイテッド6便・ヒューストン行きが見えた。
今回はヒューストンで乗り継ぎ、ニューオリンズへ行く旅程なのである。




当分飲めぬであろうお茶を買って待っていると搭乗が開始された。
確保しておいた通路側の座席に坐り、先ずは映画のラインナップをチェックする。
ふむふむ、見損ねていた「六才のボクが、大人になるまで。(Boyfood)」があるな。
まずはこれを見よう。
そのあとはカンファレンスのハンドアウトの解読(そう、「解読」である)に勤しまねば。

でもまずは映画を、と見始めたのだが、30分経ってもいっかな飛行機は動かない。
乗り継ぎには3時間半を見ているので大丈夫かな、とも思ったがやはり不安である。
暫くするとアナウンスが入った。

「出発が遅れましてご迷惑をお掛けしております。
只今不具合が見つかり、部品が必要なので本社に問い合わせています。
状況が判明次第ご連絡申し上げます」

私の記憶が確かであれば、ユナイテッドの本社はアメリカの筈である。
よしんば部品とやらが見つかったところで、本社から取り寄せてたのでは間に合わぬのでは?

不安はいや増したが、とはいってもどうにもすることはできないので所在なく引き続き映画を見ていると、再びアナウンスが入った。

「只今鋭意努力中ですが、時間がかかりそうなので降りたい方は一旦降りて下さい」

あー、これあかんやつだな。
半ば覚悟しつつ、離れた席にすわっていたH嬢と目配せをして飛行機を降りた。

どうすっかねえ、でもどうにもならないねえなどと不毛な会話をしつつロビーで待っていると、英語のアナウンスが入った。
どうやらマクドナルドで件の便のチケットを見せるとセット(でもなんでも)を引き替えることが出来るらしい。
この事態では今後いつ食事ができるかも分からないので、お腹が減っていた訳ではないがとりあえず赴くことにした。
(ただ腹ただしいのは、このアナウンスが英語「のみ」で行われたことである。日本発便で一応重要なアナウンスを日本語でやらないというのはどういう了見なんだろうか)


マクドに群がる人々(主に外人諸氏)

この時点で既に3時間以上は経過していた。
マクドナルドのセットを抱え、ふとボーディングボードを見ると、UA6便の箇所に赤々と「Cancelled」の文字が踊っていた。
うん。
欠航自体は全く驚かぬ事態ではある。
しかしだ。

何故これをアナウンスしない?

先程から
「あと1時間で出発予定です」
「(その時間が過ぎたのち)あと1時間で(以下同文)」
と出る出る詐欺のアナウンスはひっきりなしに聞こえていたのだが、大事な欠航連絡をオミットしたというのは一体何の意図であろうか。
(意図などないということはよく分かった上での修辞的疑問です念のため)

慌ててゲートに戻ると、カウンターには長蛇の列が出来ていた。
H嬢と交代で並び、順番を待つ。
その間もマイクを使わぬ(ここ太文字で)細々としたアナウンスが飛び交った。

「今夜のホテルは成田、東京とも満員でお取りすることができません」
「明日の飛行機は○時発、UA○便です」(よく聴き取れず)
「補償金として150ドルを限度にお支払いします。但し領収書をご用意ください。申請用紙は配ります」

まずい。
特に一番最初がまずい。
この日は先述の通り春節アフター週末であり、しかも翌日には東京マラソンを控えていたという謂わば最悪の土曜であったので、宿がとれぬというのもむべなるかなと思われた。

しかし理解できるからといって、仕方がないから路頭に迷ってもいいよ♪と納得できるものではない。
必死にスマホを駆使して、なんとか三田(三田!)のホテルを確保した。
しかし部屋はセミダブルしかないという。
幸い、私もH嬢もちっちゃいものクラブ(二人して150cmないのだ)なので、そこはなんとかなるだろう。

なんとかならないのはこの長蛇の列である。
既に時間は午後10時を回っている。
(因みに出発は5時前の予定であった)
これほどの事態なのに、対応に当たるスタッフは3〜4名。
しかもしょっちゅうどこかに消えて、実際に常時対応しているのは2名ほどしかいない。
このままでは東京への終電を捕まえるのも覚束ない。

業を煮やして、外れにいた野良スタッフ氏(失礼)をとっつかまえ状況を聞く。
・今、一度出国手続きを済ませた日本人を外に出してよいものか確認していたが、確認がとれたので出てよい
(ならばとっととその旨アナウンスしろ!)
・ホテルはとれないごめんなさい
・預け荷物は出たところのターンテーブルにある
・接続便その他は明日ユナイテッドのカウンターへお越しになってご相談ください

ここまでを確認したので、後日経費請求用の申請用紙をひっつかみ、H嬢と共に成田を脱出した。
三田に着いたのは日付が変わる頃であった。
とりあえずコンビニに行き、やけ酒と朝ご飯を買い込んだ後ホテルへ。
2人で酒を吞みつつ呆然とこれからどうなるんだろうねえ、と語りつつ、この日は終了した。


このエビスも経費として請求していいですかユナイテッド

(つづく)