ホテルの簡単な朝食をしたためたあと、上司に電話を掛けた。
まずはかいつまんで状況を説明し、驚く(そりゃ驚くだろう)上司に今後出張を続行させるか否かの指示を仰いだ。
正直、既に疲れ果てているし残してきた仕事も気になるしで、もういいから帰ってきなさい、という回答を期待していなかったといえば嘘になる。
なので、今から渡米したところで目的のカンファレンスの日程のうち後半半分しか参加できないんですよ、しかもメインに考えていたのは前半なんですよ(これは本当)などということにポイントをおいて訴えてはみた。
上司氏も事情が事情だけに無碍につっぱねるのは気の毒だと思ったのか、それでは更に上の上司に相談してみるね、と言ってくれた。
数十分後、コールバックがあった。
「…お疲れだとは思うけれど、やはり行ってください」
…ああそうだよね。そうだよね。
多分私が上司でもそう言うわ。
(報告書作らないといけないし)
H嬢は上の上の上司を恨んでやるー恨んでやる―と繰り返し呟いていた。
とまれ運命は決まったので、ホテルのチェックアウトを済ませ、3度目の成田空港へと赴く。
航空券チェックインは機械を使わされ、やたらめったら情報を入力させられたが
(メアドや宿泊地住所など。英語の住所をタッチパネルで入力するのは実に面倒であった)
なんとかつつがなく終えた。
その後はセルフカフェテリア系食堂(なんといったらよいのやら)で搭乗時間まで延々4時間強待ちを入れた。
真面目なH嬢はカンファレンスのハンドアウトを解読していたが、不真面目な私はツイッターでアカデミー賞の行方をチェックしていた。
そもそも、このアカデミー賞も現地アメリカでリアルタイム視聴できるはずだったのだ。
結果、私の御贔屓のベネディクト・カンバーバッチ氏は惜しくも?主演男優賞を逃したが、受賞したエディ・レッドメイン君もなかなかの好俳優であるし、前評判のよかった「Birdman」が4冠に輝いて観るのがますます楽しみになったし、その他にも馴染みの俳優やら作品やらの受賞におおっ!と昂奮したりで、ツイッター上とはいえなかなか楽しいひとときを過ごすことができた。
やがて頃合いとなったので、取り敢えず出国手続きを済ませた。
ここまで来たって信用できないのは一昨日の経験による。
搭乗ゲートで待つこと暫し、定刻に搭乗案内が開始されいよいよ(再び)飛行機に乗り込んだ。
ここまで来たって信用できない(以下略
しかしなんという奇跡か、はたまた3日目の正直か、我がユナイテッド航空ワシントン行きは動きだし(動いたぞ!)その後飛び立った(飛んだぞ!)
飛行機が動いたことに立ったクララばりに感動したのは初めての経験であった。
安定飛行になったところで、一昨日1時間だけ見た(その後飛行機を降ろされた)「Boyfood」を再度見始めた。
邦題「6才のボクが、大人になるまで。」であるこの映画は、その名の通りとある男の子の6才から18才までの12年間の物語(勿論フィクションだが)を、同じ12年間をかけて撮影した話題作である。
日々のできごとのスケッチ(勿論時折ドラマも起こるがあくまで「時折」である)を淡々と積み重ねていくというスタイルではあるが、最後まで飽きさせないのは流石だと思った。
多分それはまあこの子こんなに大きくなって、という親戚のおばちゃんモードが発動されるからなのかもしれない。
少なくとも私はそうだった。
ただ、年月の凄味という要素を除くと、さほど記憶には残らぬ映画なのではないかと思った。
映画の途中で機内食がやってきた。
なんだったか覚えていない。
つまりそれくらいの味であった。
アメリカの航空会社のアジア便はアルコールが有料(でしたね?)なので、飲み物はトマトジュースで済ませた。
誰が盗人に追い銭なんぞするか。
(些かきつい物言いだが、この時の私の心境はそんな感じだった)
映画を観終わったあとは参加カンファレンスのハングアウトを必死で読む作業をした。
予定日数の半分の参加となったとはいえ、いやそれだからこそしっかり読み込んでおかねばなるまい。
他にも観たい映画はたくさんあったけど、意志の弱い私には珍しく義務を優先した。
ほめてほめて
夜食のスナック。
つめたいハンバーガーつらい。
食べたけど。
朝ご飯。
オムレツの下に敷いてあったのがケチャップではなくトマトソースだったことに驚いた。
アメリカ人はなんでもかんでも、とくにオムレツには絶対ケチャップかけるという先入観が覆された瞬間であった。
これらを平らげて暫くすると、我が飛行機はワシントンDCに到着した。
都合3日かかって漸くアメリカに上陸したことになる。
飛行機を降りロビーに辿り着くと、驚いたことに同便の乗客と思しい男性から突然「ぴこらさん!」と声をかけられた。
「あら!こんにちは」
「いやー、同じ便だとは聞いてましたが、酷い目にあいましたよね」
「え、そうなんですか!ほんとですねー」
「ではまた」
「はいー、またのちほど」
少々言葉を交わし、再び歩きだすとH嬢が追っかけてきた。
「ぴこらさん、今の人だれですか?」
「知らない」
「え」
「誰だろう…」
「でも普通にしゃべってましたよね」
「そりゃこんなとこで名前呼ばれたなら知り合いには決まってるし、そんな相手にあなた誰です、って聞くわけにもいかないし…」
「あ、ひょっとしてSさんじゃないですか」
そういえば、去年度までうちの職場にいて他大学(N大学)に転勤になったSさんもこのカンファレンスに参加する、という情報は事前に得ていた。
「…だった、かも…」
「覚えてないんですかー??Sさん」
「だって、後ろ向きに座ってたし、1年しか一緒じゃなかったし、顔あんまり覚えてないんだよね…」
「えー…」
そう、私は壮絶といっていいほどに人の顔を覚えるのが苦手なのだ。
下手したら5回サシで逢った人ですら顔を覚えられなかったりする。
「で、でも私がここに来てるの知ってて、しかもここにいる日本人男性といえばSさんしかいないよね。うん、Sさんだ。Sさんに違いない」
「でも、どうして同じ便だったって知ってたんでしょう」
「うっ…」
確かにこのカンファレンスにぴこらが行くよ、という情報くらいはN大学にも伝わっていただろうが、どの航空便でどこ乗り継ぎで、という話までは伝わっていないであろう。
ましてや当初の予定(ヒューストン行き)とは違うワシントン行きに乗っただなんて、現時点では私の上司様もご存じない。
色々と謎に思いつつ、取り敢えず入国審査に向けて歩き出すことにした。
ワシントンは晴天なれどもあちこちに雪が残っていて、いかにも寒そうであった。
そんな外の景色を横目で眺めつつ審査場へ。
指紋をとられ、おきまりの滞在日数や目的やらの質問を受けた後、なんなくスタンプを頂戴した。
イギリスの入国審査とはとは大違いだ。
(とかいいつつ、私は前回母連れだったので非常に感じの良い審査しか経験していないのだが)
解放されたのち、しばし売店をぶらつく。
とはいえどもあまり大したものはない。
アメリカ本土にやってきたのは小学生ぶりなのだが、その時に好きだったTic-Tacというミントタブレットがあったので懐かしくなって買ってみた。
買って気付いたのだけど、これイタリア製なんだった。
ミントなのにどこかバニラ風味がして美味しい。
ニューオリンズ便の待合フロアに行くと、先ほどのSさん(仮)とお連れの人らしき人たちが既に座っていらした。
先程の謎の答えを尋ねてみたくはあったが、ほぼ間違いないとはいえ未だ(仮)付なので、そっと遠目で眺めるだけにしておいた。
とまれ、そんなこんなでいよいよ搭乗開始。
ワシントンーニューオリンズの所要時間は3時間ちょっとで、国際線のあとで、しかもヒューストンーニューオリンズ(約1時間)を想定していた私には少々きつい旅であった。
とまれ、3時間ちょっと後、やっと、そうやっとのことで我々はニューオリンズの地に到着した。
空港から市街地(フレンチクオーター)までは乗り合いバスもあるが、時間もかかるのでタクシー(一律33ドル。チップをいれて36ドルくらい)がおすすめである。
と『地球の歩き方』に書いてあったので素直に従うことにする。
待合場所に並ぶ人はさほど多くはなく、運転手氏もトランクを荷台に積んでくれたりと親切であった。
(これ意外とやってくれないところが多い。沖縄とか)
H嬢がホテル名を告げるとおおMaison DupuyねOKOK、とすぐ通じ、至極スムーズに事は進んだ。
やがてタクシーは高速道路に乗り、一路市街地へと疾走を始めた。
運転はまあまあ荒いしスピード過多だが、まあアメリカっちゃこんなもんだろう。
どれニューオリンズの風景とはどんなもんかな、と外を眺めても、見えるのは夜の阪神高速とそう大差ない味気ない景色であった。
まあ夜の高速っちゃどこでもこんなもんだろう。
しかしフレンチクォーターに入ると雰囲気は一変した。
そこは、いかにもアメリカ南部の夜の街であった。
(適当な個人のイメージです)
我々の宿であるMaison Dupuy Hotelはこれまたいかにもコロニアルな(やはり個人のイメージです)素敵なホテルであった。
部屋も広々としており一人には勿体ないほどである。
恐らくかなり古い建物と見え、時代がかかったエレベーターの音には少々どぎまぎしたが、他は全て綺麗にリノベートされており、wi-fiもしっかりと飛んでいた。
荷を解いて一段落したのち、H嬢と共に夕食を食べるべく夜の街へと繰り出した。
ニューオリンズは眠らない街と聞いていたが、この日は月曜だったこともあってか人出はまばらであった。
グーグルマイマップで作った「レストランと気になるお店マップ」(そういうものを作る暇はあった)を手に歩くこと暫し、あったあった。
「GUMBO SHOP」
その名の通り、ニューオリンズの名物料理、ガンボ他のクレオール料理がウリのレストランである。
連日行列ができる有名店とのことだが、時間が遅かったこともあってかすんなりと入ることができた。
席に着き、まずは何呑むべなとメニューを眺めていると、陽気なウェイトレスさんがにこやかになにやら話しかけてこられた。
「…??」
疲れと訛りのせいで、いやなにより英語難民のせいで言っていることがさっぱりわからない。
「よくわかんないんだけど、ビールがどうの、って言ってる?」
「なんか地ビールがおすすめみたいですよ」
「わー。そんじゃそれにする」
お勧めに従い、私はアンバー、H嬢はライトタイプのものを注文した。
この「ABITA」という地ビール、ものすごく私好みのビールであった。
日本のクラフトビールでもここまで自分の味覚にぴったりあったものはそうそうない。
そしてお待ちかねの料理である。
基本のシーフードオクラガンボ。
御存知ジャンバラヤ。
ターニップグリーン。蕪の葉の煮物だ。
見かけは地味だが滋味深い
(洒落じゃないよ)
どれもこれも、うちなーぐち(沖縄弁)の「あじくーたー」(味が濃く深みがある)という言葉がぴったりくる、大変美味しい料理であった。
和食の淡い薄口を尊ぶ上品な向きには濃すぎると不評かもしれないけど、どちらもうまいうまいと頂く私のような節操なしには大歓迎である。
やはり噂に違わずニューオリンズはアメリカの食の特異地域であるようだ。
食後、スーパーに寄った。
このスーパー、先程のアビタビールの品揃えが素晴らしく、ぱっと見ただけで14~5種類は並んでいた。
喜んで駆けよるも、皆半ダースセットでちとがっかりする。
イチゴやグレープフルーツなど変わったフレーバーも試してみたかったが、半ダースしか選択肢がないとなれば冒険はできず、一番スタンダードと思しきアンバーを選んだ。
(半ダースもあるから買わない、という選択肢はない)
あとはパックになったボイルドザリガニを発見した。
量を見るとお手頃価格のようだが、可食部がどれくらいあるのかが未知数なのでなんとも判断はつきかねた。
お土産用にどうかしら、とアメリカンなスナックも眺めたが、とりあえず先程の半ダースビールだけを引っ提げてホテルに戻った。
女子なH嬢は食後の甘そうな(本当に甘そうな)お菓子も買っておられた。
ホテルについてさて一服、と思いきや、やにわに
「ぴこらさん、シャワーの使い方分かりますか?」
とH嬢が尋ねてきた。
「え、ちゃんと見てないけど、普通に使えるんじゃないの?」
「それがさっき出ていく前に色々やってみたんですけどだめなんですよ…」
「そうなんだ。じゃ私の部屋で確かめてみるか」
そこでH嬢を部屋のバスルームに招き入れ、レバーをひっぱったり回したりしてみたけれど、いくらやっても湯は虚しくカランから出るばかりでシャワーからはひとったらしも出てこない。
暫く格闘したがうんともすんともだったので、業を煮やしてシャワー部分と操作部分を写真にとり、フロントでこれどうやって使うの?と聞いてみることにした。
説明用写真
「あー、このレバーを右に回したらいいよー」
ってそれさっきから何回もやってるんだけど。
と言いかけるも、お兄ちゃんが2人がかりでうんうん、それで出るよ、間違いないよ、と満面の笑みで請合うので、じゃ、じゃあもう一度トライしてみます、とすごすご部屋に戻った。
けれどやはりシャワーは出ない。
もはや万策尽きたか、と思った頃、カランの上に小さなぽっちりがあることに気付いた。
えいやと引っ張ってみても状況は変わらなかったが、懲りずにレバーを右に回しつつえいやえいやと頑張ったところ、やっとのことで恵みの雨が降り注いだ。
(そして私はお約束通りびしょぬれになった)
なんだよー、こっちの人には自明なのかもしれないけど、アジア人困ってるんだからぽっちり引っ張れっていってよー、とH嬢とひとしきり愚痴ったのち、ようやく熱いシャワーを浴びることができた。
さっき買ってきたアビタビールの栓をぷしゅっと抜き、ぐいっと呷ってぷはー極楽極楽、とベッドに倒れ込んだときは実にしあわせであった。
三日(!)かかったけど、はるばる来たぜニューオリンズ。
明日からは一応(ええ、一応)メイン行事の始まりである。
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