等と書くと胡散臭く聞こえますが、事実、彼のお話は古代ローマにおける美徳の在り方を非常によく表しているといえます。
いや寧ろ、「古代ローマの美徳」こそがコリオレイナス譚の主要テーマなのだ、とまでいっても過言ではないでしょう。
そしてこれは、間違いなくシェイクスピア『コリオレイナス』にも受け継がれているテーマです。
故に、少し退屈かもしれませんが(今までも十分退屈でしたよねすみません)古代ローマにおける二つの美徳、そしてそれらとコリオレイナスの関係についてお話ししたいと思います。
1.ウィルトゥスvirtus
これは英語のvirtue(美徳)の語源となったものです。
更にその語源はvir、つまりラテン語で「男」を意味する単語に遡ります。
つまり、このウィルトゥスvirtusはそもそも「男らしさ」を称賛する意をもつのです。
ほかの色々な言葉と同様に、ウィルトゥスの中身も時代と共に変遷していきます。
のちには英語のvirtueと同じく美徳一般を指すようになり、皇帝が守るべき矩とされるようになります。
しかし、コリオレイナスの時代には、まだvirに引きずられた意味、つまり軍事における勇気を称える色合いが強かったといいます。※12
※12 「(前略)その頃のローマでは徳性の中でも戦争や軍隊の事柄に関係のあるものを特に尊重したことは、徳性を呼ぶのに専ら勇気の名を以てし、特に勇気を意味する名前が徳性一般の総称となっていた(後略)」(『プルターク英雄伝』「コリオラヌス伝」、1節より)
しかし、この「勇気」を「徳」の名で呼ぶ際には、個人的な性格のそれではなく、あくまで公的な場面、つまりローマ共和国(帝国)におけるもので、且つローマの利益・発展に資するものでなければなりませんでした。
つまり客観的な武勲が必要とされたのです。
共和政期、執政官(コンスル)他の要職に就く際に特に軍事キャリアが重要視されたことからも、この価値観の一端が伺えます。
ですが、ウィルトゥスの表れ=華々しい武勲を求める余り、特に若者は無茶をしがちでした。
度が過ぎた功利心に基づく無謀な力の誇示は、時として共同体の破滅すら招きかねません。
貴族たちが執政官を目指す際にとるべきキャリアアップの過程を「クルスス・ホノルム」といいますが、この中には積むべきキャリアとして軍事関連以外のものも数多く含まれており、戦闘能力だけが評価されぬよう配慮されていたと同時に、キャリアを経るには年数が必要であることから、幾ら若年者が功績を挙げてもおいそれとはキャリアアップできないようになっていました。
また、(華々しく見える)一騎打ちをする際には必ず上官の許可が必要だったともいいます。
これもまた、Show upを防ぐ一手段であったと考えられます。
さて我らがコリオレイナスですが、当に彼はウィルトゥスの塊のような人間でした。
幼少からストイックに鍛えた身体と勇猛な精神を併せ持った彼は、戦では圧倒的な強さを誇りました。
そしてその結果、ローマはウォルスキ人に打ち勝つこととなります。
しかし、彼の強さは他人に評価されんがためのものではなく、ひとえに純粋に戦いを愛し戦いに没頭するが故ではなかったでしょうか。
勿論彼は祖国ローマを愛し、ローマのために戦ってはいるのですが、ひとたび実際の戦闘となると闘争本能が全てを凌駕しひたすら戦うがために戦う、という類の人間であるように思えます。
彼の戦いは、客観的に見ればローマに資する申し分のないウィルトゥスでしたが、その実は公のローマの利益と闘争本能の発揮がたまたま幸せな結婚をしていた、というのが事実に近いのかもしれません。
とまれ、圧倒的な武勲を誇ったにもかかわらず、結局彼はその反平民的な思想、言動で追放の憂き目を見ます。
何故そこまで彼が平民を嫌ったか、については前項「コリオレイナスの平民嫌い(以下略)」で及ばずながら考察した通りです。
つまり、彼は公においてウィルトゥスを見事に発揮しローマに利益をもたらしたものの、「私」の感情(コリオレイナスの場合は殆ど「激情」ですが)故に破滅したのです。
平民に媚びず厳格な態度をとる、というのも一つの政治的立ち位置=公的なふるまいなのかもしれません。
ただ、彼はその意見を感情的に吐露するだけで、平民のここがダメだからこうしよう、等という説得的且つ建設的な意見を述べることはありません。
自らの内に巣食っている平民への殆ど生理的とでもいうべき嫌悪感を何らのヴィジョンなくそのまま吐き出すことは、平民に媚びねば執政官への票を獲得できぬ、等という問題以前に公にすべきではない(する必要もない)「私」の発露に他なりません。
(票への下心を忘れ本心をぶちまけている彼には二心はない、と評価することもできますが、それはまた別の話です)
コリオレイナス譚は、「公」におけるウィルトゥスが幾ら優れていても、「私」の感情が制御できぬ人間は指導者としては相応しくない、という教訓を語っているのかもしれません。
2.ピエタス(pietas)
此方も綴りを見たらお分かりかもしれませんが、英語のpiety(信心、孝行)の元となった言葉です。
マリアが死せるイエスを抱き悲しむ、というモティーフは絵画や彫刻でよく見られますが、これらの総称「ピエタ」もまた、同じルーツをもつイタリア語単語です。
(サン・ピエトロ大聖堂のミケランジェロ作の彫刻が有名ですね)
慈悲心、憐み、敬神等、ウィルトゥスと同じように様々な徳性の意味を持つこの語ですが、元々は孝行心を表すものであったようです。
ピエタスの典型とされるのが、本稿の最初で述べたローマ人たちの始祖(勿論「伝」ですが)、アエネアスの行いです。
アエネアスはかの有名なトロイア戦争で勇猛に戦うも敗北を喫すのですが、落城し燃え盛るトロイアの街を脱出するとき、父アンキセスを背負い,息子アスカニウスの手を引き懸命に逃げたといいます。
正直取り立てて素晴らしい行いという訳でもなく、親子なら普通そうするよねと筆者は考えるのですが(身も蓋もなくすみません)何故か?これが「ピエタス」の典型的行為として称賛されるのです。
ここでまたもや我らがコリオレイナスの登場ですが、ピエタスの面からみても彼は申し分ない有徳者であります。
前章でも述べたとおり、彼は片親だったということもあってでしょう、非常に母親思いです。
武勲をあげるのも何割かは母の褒め言葉を聞きたいがためですし、結婚してからもずっと母親と同居し続けます(これはまあ父親がいなかったからでしょうが)。
そして、追放され敵方ウォルスキ人側に寝返り、あと一息でローマ領地を攻め滅ぼそうとしていた時も、母(一応嫁も、ですが)の鶴の一声で意を翻します。
但しそのことが命取りとなり、裏切られた(或るは裏切られたふりをし、彼を亡き者にする大義名分を得た)ウォルスキ人、オーフィディアスによって亡き者にされます。
とすれば。
コリオレイナスは、彼の内なるピエタス故に身を滅ぼした、ということになるのでしょうか?
美徳である筈のピエタスが彼の破滅の原因だったのでしょうか。
ここからは私見ですが(いや、この章はそもそもほぼ私見に満ちていますが)、私は彼のピエタスの発露=母親の説得に従ったこと、こそが彼を「救った」のだと思っています。
いや殺されてるし、どこが救われているんだとお思いの向きもおありでしょうが、まあお待ちください。
彼は一度、完全にピエタスに反する行為をしました。
即ち敵方に寝返り、母や妻のいるローマを攻めたのです。
これはウィルトゥスにも反する行為であった、というのは既に述べました。
つまり彼は、「私」の噴出たる激情によって、2つの重大な(ローマにとっての)徳を踏みにじったのです。
しかし彼は、母の説得により改心し、ローマと講和を結びます。
謂わばピエタスを取り戻したのです。
結局それが彼の死を導いた、というのは前述の通りですが、その死に対し故国ローマは実に奇妙な「ふるまい」をします。
英雄から一転国賊となり、なんとか講和は結んだものの敵方の大将であることには変わりなく、再度牙を剥く蓋然性たっぷりであったコリオレイナスの死はローマにとって実に喜ばしいもの、の筈でした。
しかし、貴族も平民も歓呼の声を上げるでもなく、さりとて悲しみを見せるでもなく、何もしませんでした。
しかし、ローマの女たちは彼の死を悼み父兄弟の死去と同じ最も長い10ヶ月の喪に服し、男達もそれを許したといいます。※13
ローマの民はきっと、最後の最後でピエタスを遵守したコリオレイナスを(積極的ではないにせよ)評価したのだと思います。
※13『プルターク英雄伝』「コリオラヌス伝」、39節より。
結局コリオレイナスの存在は人々の記憶から抹殺されず、その英雄譚も闇に葬り去られることなく語り継がれることになります。
(勿論国賊となったエピソードとセットではありますが)
彼はピエタスにより命を落としましたが、そのピエタスにより或る意味長く「生き永らえた」のです。
→ 6.おわりに
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